歩いていると、夕暮れ時の色はどんどん濃くなり、空気まで赤く染まっていくような感じがする。
先ほどの爆弾投入事件の場所を確認しいくつか指示を出し、そのまま外苑を横切った。薄紅の空気に染まった空間が植え込みとともにぽっかりと現れる。
ねっとりと熱く蒸された空気が西脇の全身にまとわりついていくようだ。
今までずっと慣れ親しんできた空気には違いないのに、それが非常に不快にも感じてしまう。頭を振ってその嫌な感触を振り払うとゆっくりと空を見上げた。
どす黒いほどに真っ赤に染まった空が頭上に広がっている。
橋爪が襲われた日の夕暮はこんな空の色だったのだろうか。
ゆっくりとかげっていく日の光の中で橋爪が抱えた絶望はどれだけ深かったのだろうか。
クロウがその場所を訪れるまでの数分が、どれだけ長く苦しいものだったのか。自分にはわからないことだけれども。
ただ、自分はそれでも橋爪の存在を欲している。橋爪が離別を望んだとしても、おそらくその手を解放することはできないだろう。
深いため息で西脇は呼吸を整えると、インカムに手を伸ばした。
「……西脇だ」
つないだ外警監視室は穏やかなようで、事件や事故の報告がなければこのまま退勤してもよさそうだ。
「あれから何も起こってないようだな?」
第一、西脇が監視室に戻らねばならないような出来事があれば、真っ先にインカムに連絡が入るだろうから。
『はい、大丈夫ですよ、西脇さん』
「そうか」
西脇は腹の底へと力を込めた。退勤するというだけで、意識を集中しなければならない、今の自分の現状に自嘲しながら。
「なら、このまま退勤する」
『はい、お疲れ様でした』
「ああ、お疲れさま」
通話を切ると、そのまま近くの木に凭れた。早く橋爪の元へと戻りたいのに、それでも足が竦んでしまう。
分かっている、自分でも。自分がいつもの自分ではないということくらい―――
急いで戻って、橋爪を叱りしながら味気ない食事をし、無言のままで時を過ごすのか。自分と橋爪二人の空間は、今までのような、無言でも居心地のいい空間などではない。
自分も橋爪も、心の深遠部に抱えた蟠りや遠慮を吐き出せず、気まずいまま何も言い出せないでいるというのが正解か。
のろのろと空を見上げ、再びため息をついた。
真っ赤に染まっていた空の端から、先ほどより更に夕闇が侵食していた。まるで、自分の心に巣食う薄闇か何かのようだ。
それでも、橋爪の病室に戻らないわけにはいかないだろう。何より自分が橋爪に会いたいのだから。どんな状態でも、それでも橋爪と一緒にはいたいのだから。矛盾した心と体を持て余してはいても、それでも大切にしたいと欲するのは橋爪だけだから。
食堂へ顔を出そうと通路を進んでいると、向こうの通路から石川達が出てきた。目を合わせてしまえば、気づかないふりをして無視をすることもできない。
「ああ、西脇、ちょうどよかった」
「……なんですか、隊長?」
「結局、時間が取れなかったなと思ってな……西脇ももう上がりなんだろう?」
「……さっきの話でしたら、また後日でも結構ですよ」
ため息をついて折り返そうとすると、ぐいっと手を引かれた。
「西脇~? どこ行くの?」
気配を殺して後ろから忍んできたのはクロウだった。目の前の石川に気を取られ、気づかなかった迂闊さに舌打ちしたい気分だ。
「……クロ、離せ」
「別にいいじゃない? 隊長、どうせなら一緒に飯しましょうよ」
「ああ、そうだな。チーフルーム借りよう。西脇、話ならそこで聞くから」
「だから、後日でいいと……分かった分かった。分かったから、岩瀬も手を離せ」
石川の意を受けて、岩瀬までもが西脇を連行しようともう片方の腕を掴んできたから。こんな風に連行されていくのは御免被りたいところだ。
「飯はしない。話をするだけだ」
「……岩瀬、連行」
「はい」
「だから!」
とはいえ、往生際悪くジタバタしているのは自分の方だろう。
石川はさっさと中に入っていくと、岸谷と話をしていた。ちらりと西脇を窺い見た岸谷の視線には何やら含まれるものさえ感じてしまったのは穿ち過ぎか。
チーフルームに入ると、すでに退勤していた池上が寛いでいた。
「池上、すまないな」
「いえ、いいんですよ。しばらく、席を外しますね」
きっと強張りまくっていた自分の表情に気が付いたのだろう、池上は立ち上がった。ただの団欒なら池上が加わるのが常だから。
「悪いな。ああ、そうだ。池上、もしよかったら、Drに飯を運ぶのを頼んでいいか?」
「……あ、でも……」
「石川」
言い出した石川を制そうとしたが、反対に石川はにっこりと笑って池上に微笑んだ。こういう時に従うべきは石川か、西脇なのか。仕事の面ではともかく、プライベートでしかも石川に笑いかけられてはほとんどの人間が拒絶できるはずもないだろう。
「池上? 岸谷には用意するよう頼んであるから」
「はい」
「石川、勝手な真似をするな」
「往生際が悪いよ、西脇」
クロウががっしりと西脇の肩を掴む。岩瀬相手ならまだ強引に振りほどくこともできるが、クロウ相手ではそうも出来ない。まして石川の真意が見えない以上、ここから逃げ出すわけにもいかなくて。
「池上、悪いが」
続いた岩瀬の言葉に頷いて、池上はチーフルームを出て行った。

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