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池上が病室を出て行った後も、西脇と橋爪の間には気まずい沈黙が流れた。
橋爪は池上の後ろ姿を追うかのように、じっと閉じられたドアを見つめていた。 あるいは、目を合わせようともしないのは自分への恐怖故なのかもしれなかった。 それでも、自分を見てほしくて。自分の姿を見てほしくて。 先に、沈黙に耐えられなくなったのは西脇の方だった。 「……紫乃」 声をかけただけで、橋爪はびくりと体を震わせた。 やはりか、と。西脇は小さなため息をついた。 恐怖で怯えすくむ自分を隠そうと、視線を反らしていたのかと。 「……西脇さん……」 「紫乃、ただいま」 「……あ、お帰りなさい」 橋爪は条件反射的に西脇を見上げ、しかしすぐに俯いてしまった。 「あれ? いつものように笑ってはくれないの?」 「私……」 橋爪は自らの服を握り締めた。そして、今気付いたというように、自分の腕を見、体を眺めた。病衣ではなく、部屋着を着ていることに驚いたのかもしれない。 「ああ、着替えさせた」 「……西…きさんが……?」 「だって、病衣で下着もつけてなかったし。なにより落ち着かないんじゃないかと思って……堺先生もそれでいいっていってくれたからね」 「……ありが……」 礼の言葉を口にしてくれようとはしているのだろうが、橋爪の唇は微かに震えるだけだった。 腕が自らの体を抱きしめるようにクロスする。 自らの身を、今更ながらに守るように。それが痛ましい。 「……悪いことしたかな?」 「……いえ」 「そう? なら、よかった。でも、勝手にクローゼット漁ったよ。ごめんな」 「……いいえ、ありがとうございます」 巧みに話の論点を誤魔化しながら、西脇は軽く笑った。 「ま、今更か? あ、そうそう」 そういいながら、西脇はさっき池上が運んできたデザートを盆ごと橋爪の膝の上に置いた。 「さっきな、池上が持ってきたんだ、デザート。そろそろ、お腹空いてるんじゃないのか?」 「……いえ、まだ……」 「でも、甘いものは別腹とか言うよな? 俺には分からないけど」 「……その……まだ、食欲とかなくて……」 「紫乃」 橋爪はびくりと肩を震わせた。西脇の一挙一動にビクつき怯えている。 西脇も決して言葉を強めたわけではないのに、体をきつく強張らせ、必死で何かに耐えるように俯いて。 恋人に対しての様子なんかじゃなかった。 それだけ、心の奥底で、未だ痛みが燻っているということなんだろう。 「……紫乃、食べて。お願いだから」 「……西脇さん……」 「点滴だけじゃ、力が出ないよ? 分かるよな? ここ数日、何も食べてないんだろう?」 西脇はガラスの器についた水滴を拭うと、橋爪の左の掌に置いた。 「食べようよ」 「……私……」 「一口だけでもいい。俺も一緒に食べるから。それならいいだろ? な?」 微かに頷いた橋爪に西脇は笑むと、器の中身を一匙すくって口に運んだ。 フレッシュなオレンジの香りと酸味が口の中に広がり、すっと溶けていく。微かな甘みは蜂蜜か。西脇が耐えられないほどではなかった。 「……うん。俺にはちょっと甘いかな。紫乃も、一口」 橋爪の右手に小さなスプーンを握らせた。だが、それを握ったまま、橋爪は俯いて中の透明な欠片を見つめている。 「ゼリーは嫌いだったっけ?」 「……いえ」 「食べない?」 小さな欠片を一つすくうと、橋爪は恐る恐る口に運んだ。 こくりと小さく動いた喉に、西脇はようやくほっと息を吐いた。 「……冷たくて、美味しいです……」 「そう、よかった」 「……浅野が?」 「いや、岸谷が作ってくれた。折角だから、もう一口食べられないか?」 「……はい」 橋爪はゆっくり頷くと、先ほどよりは大きな破片をゆっくりと口に運んだ。 そっと咀嚼を繰り返して飲み込んだ橋爪の姿に、不意に目頭が熱くなり。 西脇は慌てて手で顔を覆った。 「……西脇さん?」 「……いや、何でもない」 「何でもって……西脇さん……やっぱり、どこか、怪我してるんじゃないんですか? 傷が痛むんですか?」 いきなり医師モードに戻った橋爪に、西脇は安堵さえ感じていた。 なのに浮かぶ涙を止めることなどできなくて。 「……西脇さん?」 恋人の目は西脇をまっすぐに見つめていた。心配げな色がその瞳に浮かんでいる。 いつものように笑って誤魔化そうとしても、それさえ出来なくて。掌の間から涙が零れ落ちていく。 どこかに器を置いたらしく、橋爪の手が伸びてきて、西脇の手に触れてきた。 「……どこが痛みますか?」 「紫乃……」 西脇は首を振った。哀しくて苦しくて、どうにかなりそうだった。 こんな時でさえ、医師としての己を貫こうとする、そんな橋爪が痛ましくて。 「西脇さ……ひ……っ!」 西脇はあまりにも苦しくて、橋爪の痩せ細ってしまった体を抱きしめていた。 橋爪の体がきつく強張るが、それでも離すことなど出来なかった。 「紫乃……紫乃……」 止めようとすればするほど涙がこみ上げてくる。硬直していた橋爪の体もやがてふわりと解け、ゆっくりと西脇の背に手を回してきた。 「紫乃……っ」 「西脇さん、大丈夫ですから。私、頑張りますから」 西脇は首を振った。 橋爪が自分を安心させようといってくれているのは分かる。でも、それがかえって西脇を不安にさせていることに気付かないのだろうか。 自分を殺してまで、他者を守り慈しもうとする。それが橋爪という男だけれども、こんな時くらい自分の感情に蓋をしないで欲しいから。 「ちょっとショックを受けてしまっただけで、もう大丈夫ですからね。明日からはちゃんと勤務も」 「そんなに頑張るな!」 なおもいい募ろうとする橋爪に西脇は叫んでいた。再び橋爪の体がきつく強張る。 「頑張らなくてもいいから……」 「西脇さん……」 橋爪の声が揺れていた。 「頑張らなくていいんだよ、紫乃。ちゃんと言って?」 「西……き……さ……」 「ちゃんといわなきゃ駄目だよ。辛かったって……嫌だったって……」 「……に……」 「そして、泣いていいから」 背中に回された手に力が入ったのが分かる。細い指が、ありったけの力で西脇のシャツをきつく握り締めてくる。 心にも体にも痛みを伴った、橋爪のきつい抱擁だった。 「……我慢しなくていいんだ」 「……う……っ」 西脇のシャツがゆっくりと熱い雫で濡れていくのがわかる。 「紫乃」 「……辛か……った……」 「うん……」 「嫌だ……った……あなただけ……のに……あんな……っ」 「うん……おまえが生きててよかった……っ」 ようやく橋爪は声を上げて泣いた。自分自身のために、ようやく泣いてくれた。 西脇も零れる涙をそのままに、頷きながら、橋爪の背をただゆっくりと撫でていた。 きつく、きつく抱きしめあいながら、同じく涙を流して。 同じ涙を流すのでも、声を上げて悲しみや苦しみを解放できる方がずっといい。 「ごめんなさい」と、ただ西脇に謝罪しながら泣くのではない。 我慢や苦しみを抱えたまま、無言で涙を流すよりはずっとましだ。 西脇の胸を濡らして行く熱い涙も、震える肩も。 全ては橋爪が生きているという証だった。 PR
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