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テンプレ・レベルから徹底的に検索除けをかけているので、ここへは一般のお客様は入れません……多分(笑)
「西脇さん?」
橋爪の病室に再び赴くと、高嶋が橋爪の点滴の落滴の速度を調整していた。 「点滴……まだ必要なのか」 「ええ。ただの栄養剤なんで、食事さえ取ってもらえれば、もう要らないんですが……」 「……そうだよな……」 西脇はポツリと呟いた。 「Drの着替え持ってきたんだが……まだ起こすのは無理そうだな」 「眠ったままでも大丈夫ですよ。Drの部屋着ですか?」 「ああ。パジャマ代わりによく着ているから、多分、着心地が気に入っているんだと思う」 柔らかな肌触りのゆったりとした長Tシャツに、スウェットのズボン。糊のきいた硬い病衣よりは、はるかに着心地がいいはずだろう。 「あと20分くらいでしょうか……これで今日は最後の点滴ですから。その間に、清拭用のタオルを用意してきますから、それは西脇さんにお願いできますか? その方が少しでもさっぱり出来ると思いますし」 「ああ。では、頼むよ」 「はい」 高嶋が出て行くと、西脇はそっと橋爪の顔にかかった髪を払い除けた。 記憶より一回りも細くなってしまった首の下にそっと手を差し入れて頭を浮かせると、十字架の鎖をゆっくりと白い首に回し止めた。 白い胸元で十字架がひっそりと輝く。現世のものとも思えない、敬虔な信者の姿。 こんな姿を見るのは、橋爪の命が絶えたその時だけだと思っていた。 胸元のそれに、橋爪の手を重ねさせた。 眠っていても無意識にだろう、橋爪はそれを握り、ほんの少しだけほっとしたような表情を浮かべた。 「紫乃、大丈夫だから……」 カミサマに縋ることは自分の中ではありえないことだ。神頼みするくらいなら、自分自身の力を信じて動いてきた。その選択と結果が最上のものではなかったにしろ、自分では間違っていなかったと思う。 だけど、それは自分の都合であって、橋爪に押し付けるものではない。 橋爪が信仰を心の支えにしているのなら、それは構わない。 橋爪の中心を貫く正義や理念が、信仰によるものなら、それは構わない。 カミサマに縋ってでもいい。 橋爪が元の笑顔を見せてくれるのなら、それでいいから。 カミサマにまで、嫉妬はしないから…… 戻ってきた高嶋から蒸しタオルを受け取って、ゆっくりと橋爪の体を拭った。 体のあちこちに浮かぶ傷は、テロリストによるものではないのだろう。 こみ上げてくるものを必死で飲み込み、ゆっくりとタオルで体を辿った。 『汚い汚いといいながら……』 石川の言葉が甦る。 「……汚くなんてないよ、紫乃……どこも汚れてなんていないじゃないか…っ」 絞り出すように西脇は呟いていた。 「どこも綺麗なまんまだから……っ」 呟きながら、全身をくまなく拭い、傷の一つ一つに手当を施した。部屋着を着せつけ、横たわる橋爪にゆっくりと毛布をかけた。その間に目尻から伝い落ちていった涙をゆっくりと指先で拭いとる。 今、自分にできることは何もないんだという無力感だけを、西脇はただかみ締めていた。 椅子をベッドに引き寄せて、ひたすらベッドの中で眠る恋人を眺めていた。長い旅行の末で疲れているはずの肉体さえ、まるで眠ることを放棄しているかのようだった。一向に眠気の欠片も訪れてはこなかった。 転寝程度でもいいから、少しは体を休めないと、早速襲い来る明日からの激務に耐えられないだろうことは分かっているのに。 ただ、橋爪の姿を眺め、橋爪のことだけを思う。自分の全てが、橋爪の存在で一杯になってしまっている。 時折、眦から零れる涙をそっと拭い、十字架を握り締める拳をそっと掌で覆う。 橋爪が目覚めたら拒絶されるのではないだろうかと怯えつつも、そうとしか出来ない苦しみ。 揺り動かして目覚めさせてしまえば、この苦しみから解放されるのだろうか。 俺を見ろと叫んで橋爪の目を自分に向かせれば、この悲しみから解放されるのだろうか。 ただ、そうする勇気が出ない。 橋爪が目覚めて自分を拒絶してしまうくらいなら、このまま安らかとはいえなくても眠りの世界を漂っていてほしいとも思う。 そうすれば、自分が傍にいることも、橋爪に許してもらえるだろうから。 どれくらいそうしていただろうか。 息の詰まるような静寂を、携帯の着信音がさえぎった。 びくりと体を震わせ、西脇はポケットから携帯を取り出した。着信の主は、自分が連絡をしろといった池上だった。 「……西脇だ」 『お疲れ様です。池上です』 「もう、上がりなのか?」 『……はい、先ほど。あの、西脇さんは今、病棟に……?』 「……ああ、そうだ」 口ごもる池上に、何故かふわりと笑みが浮かぶ。 池上がもし、自分のせいじゃないと責任転嫁をする男なら、きっと西脇は怒り狂って彼を糾弾しただろう。 だけど、そうじゃない。 自分のせいだと思い悩み、恋人のことを気遣ってくれる池上に、西脇は温かい気持ちになれる。 どこか優しい気持ちで池上を見れる。 『……西脇さん、今日は……』 「池上」 そして、今も謝罪の言葉を口に仕掛けた部下の言葉を無理矢理に遮った。 「Drを見舞ってやってくれないか」 『……西脇さん』 「無理にとはいわない」 『……今から、お伺いしても?』 「ああ』 そして、数分後、ゆっくりと扉がノックされた。 「……池上です」 「ああ、入れ」 「失礼します」 扉を開け、池上はゆっくりと病室に入ってきた。手には盆を抱えている。 「……まだ、眠ってらっしゃるのですね……」 「……ああ。Drの?」 盆の上にはゼリーを砕いたようなものがガラスの器に入っている。 「ジュレです、オレンジの。これくらいなら食べられるかもしれないと、岸谷さんが」 「……さっき、岸谷がいっていたオレンジか」 「……一口でも二口でもいいので、食べてくださればいいんですが」 「……きっと大丈夫だ」 「そうですよね……」 池上は盆をそっとベッドサイドの小さなテーブルに置いた。 橋爪に注がれる視線が、西脇にも分かるほど辛く悲しいものを浮かべている。 「……池上、今日はすまなかった」 「……え?」 「今日、空港まで迎えに行ってくれたんだろう? 隊長に聞いたよ。無駄足踏ませてしまったな。悪かった」 「……いえ。あ、あの、西脇さん……」 「どうした?」 努めて平静な声音をつくろって。 「今までシフトに入っていたんだろう? 今日はゆっくりと休んで……」 「西脇さん、僕は……すみません」 「……何を謝ることがある? お前にはちゃんと礼が言いたかった。紫乃を守ってくれて、ありがとう」 池上には謝って欲しくはない。誰が悪いわけでもない。それは分かっているから。 ただ、橋爪が傷つき、一番辛い時間にそばに入れなかった自分自身が許せないだけだ。 「……守れてなんていませんっ」 「池上」 「僕は……Drを見捨てました……っ」 池上の呟きは、微かに悲鳴めいていて。 「Drを館内に誘導することもせずに、僕は爆弾の方に……あの時、ちゃんと館内に行くまで」 「ふざけるな」 池上の体がびくりと震えた。 「池上、お前はDrのSPか? お前の仕事は何だ? 言ってみろ」 「……国会警備隊の外警です……」 「それには、専属内科医の護衛は含まれるのか?」 くっと唇をかみ締める音がした。それとも歯を食いしばる音か。 池上は自分の仕事を優先しただけだ。それは池上自身も分かっていることで、だから池上はそれを優先した。その結果が、池上の望んだものではなかっただけだ。 「……それでも、僕がっ」 「池上がDrを気にかけてくれているのは分かる。だけど、履き違えるな」 「……西脇さん……」 「むしろ、おまえはちゃんと職務を遂行した。自分のやるべきことをやった。違うのか?」 「……はい」 ポトリと床に雫が落ちた。深く頭を下げた池上から落ちたものだった。肩を震わせて、ただ嗚咽を漏らすことなく、静かに涙を零している。 西脇はゆっくりと肩を掴んで顔を上げさせた。 「その後も、Drを……紫乃を守ってくれたんだろう? 紫乃がこれ以上傷つかないですむように、守ってくれたんだよな」 池上はゆっくりと首を振った。 「そんなに泣くな。俺が岸谷に叱られる」 「……そ……なこと……」 西脇はふと気付き、池上の腕を取った。橋爪のものと同じように、何箇所も引っかいたような傷が出来て瘡蓋になっている。 「あ……これは……」 自分がいない間、必死で橋爪を庇い守ってきた証なのだろう。 暴れ泣き叫び肌に爪を立てる橋爪を守ってきたのは、自分ではなくこの池上なのだと。 その傷跡をそっと掌で撫で、池上の腕を解放した。 「一番、辛い時に一人きりじゃなくておまえがいてくれたんだな。おまえがいてくれて本当によかった」 「西……きさん……」 「池上、ありがとう」 ひょっとしたら、帰国して初めてかもしれない。 西脇は笑みを浮かべ、潤む視界を閉じて目の前の部下に深く頭を下げた。 PR
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