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テンプレ・レベルから徹底的に検索除けをかけているので、ここへは一般のお客様は入れません……多分(笑)
「彼には時間だけが薬なのかもしれないな」
後ろから、堺の穏やかな声が追いかけてきた。西脇は入り口で堺を振り返る。 「堺医師……」 「体の傷は、すぐに癒えるよ。だが、普通の生活に戻るには、時間が必要だろうね……橋爪君が自分自身を受け入れる時間がね」 「……俺では何もできないんですね……」 「ただ、焦らずに見守ってやれ。一人の男として接してやればいい。頑張れ、と決して焦らせないようにな……ただ一緒に生きていく、それだけでいいんじゃないのかね」 堺の言葉に西脇はゆっくりと頷き、病室を出た。 まるで、鬱病の患者に接するように接しろと堺は言っているようだった。それもある意味、間違いではないのだろう。 「西脇……?」 病室を出るなり立ち止まって天井を睨み上げた西脇に、石川は訝しげな目を向けてきた。 「……そのまま、監視室に寄って行く。ああ、明日、羽田は休ませるから」 「羽田を?」 「……出張が長引いた分、調整がきかなかった分は羽田が休日出勤したからな。その分の代休を取らせる」 「明日くらい休んでもいいんだぞ」 「そういうわけにも行かないだろうが。山ほど仕事が残ってるのに。どれだけここを不在にしたと思ってるんだ? それに、帰国の出迎え、篠井さんとも約束したしな……」 西脇は軽くため息をついた。そして、クシャリと髪をかき混ぜた。 ひょっとしたら、この今でも現実から逃げたいと思っているのかもしれない。 溜まった仕事を片付ける、というのはただの口実で、仕事に忙殺されれば、現実を忘れることが出来るかもしれなくて。 らしくもない。自分でもそう思う。 「篠井が着くのは夕方だろ?」 「ああ、その予定だ」 「だったら。それまででもさ……」 「いや」 西脇はまっすぐに石川に向き直った。 「石川、おまえには本当に感謝している。おまえがいなかったら、Drはちゃんと休めなかった。面白半分の醜聞に囲まれて、今よりもっと酷い状況になっていたと思う。Drを守ってくれてありがとう」 西脇は深々と頭を下げた。 「俺にとっても、Drは大事な友人だから……でも、俺ではDrを支えきれなかったよ。おまえが帰ってきたから、Drだって今度はちゃんと現実と向き合えると思うし……実際、Drは俺にはあんなふうに感情を露にする事だってなかったから……」 石川はぼそぼそと呟く。西脇は軽く首を振ると、そんな石川の肩を押した。 「岩瀬が待ってるだろ? もう戻ってやれよ」 「でも、一人じゃ……おまえ……」 「岩瀬の奴、きっとヤキモキしながら待ってるさ。俺は大丈夫だから。おまえだって忙しいだろう? Drだけが隊員じゃない。Drには堺さんも三浦さんもいるから、大丈夫」 「……ああ、そうだな……」 後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら行く石川に西脇は苦笑を零し。自らも、外警の監視室へと重い足を運んだ。 「お帰りなさい、西脇さん」 羽田の無表情な顔が西脇を出迎える。だが、その無表情の中にも、どこかほっとしたような光を見つけてしまった。 きっと、ヤキモキしながら待っていたのは羽田も同じだろう。 「羽田、何度も日程を変更して悪かったな」 電話越しでしかコンタクトを取れないもどかしさ。通常ならそれでもいいが、有事の時にはそれすらもどかしく感じる、海の広さ。日本とアメリカの距離。 「予想よりは早い帰国でしたよ、結局のところ」 ゆっくりと表情を緩める羽田に、西脇も笑みを浮かべる。 「哀川達を先に見舞ってきた。さっき、石川とも話したんだが、明日、おまえ、代休とっていいからな」 「代休はいいんですが……西脇さん、明日くらいまではお休みになったら?」 「いや、大丈夫だ。むしろ忙しさに気を紛らせた方がいい」 「……西脇さん……」 意図を計りかねてなのか、戸惑ったように自分を見上げる羽田に西脇は小さくため息をついた。 外警の管轄内で起こった出来事だ。羽田が知らないはずはないだろう。そして、その結果も。 「プライベートはプライベートだ。そっちはそっちで何とかするから」 「……はい、了解です」 「それで? この前のテロに関する報告書、あるなら出してくれ。それと明日からのシフト表も」 デスクから椅子を引き出し、西脇はそれに腰掛けた。 羽田達と簡単な引継ぎと打ち合わせを終え、西脇は食堂に行った。 ちょうど人もまばらな時間だったらしく、数人が談笑しているだけだった。 「西脇さん、戻ってたんですね」 高倉の言葉に、皮肉気に頬を歪めてしまった。 「ああ、さっきな。池上は戻ってきたのか?」 「そういえば、公用で外出したきり、まだ見てませんね。仕事にそのままか、まだなのか……」 「ならいい……適当に見繕ってくれ」 和食膳の載せられた盆を受け取り、西脇は無人のテーブルにそれをおいた。舌に慣れ親しんだ味のはずなのに、味気もなく感じてしまう。 食事も早々に箸をおき、西脇は深いため息をついた。 「お帰り……食欲がないようだな」 「ああ……」 西脇は声の主を見上げた。食堂の主が一人で立っていた。 「岸谷、池上はあれからどうしてるんだ?」 「ろくに部屋に帰ってもこないで、メディカルルームに……いや、Drのところだな、にいることが多い」 「……そうか。岸谷にも迷惑をかけた」 「迷惑じゃないが。コーヒー、入れてこようか。おまえまでそんなだと、余計に人が勘ぐるぞ?」 「……ああ、頼むよ」 「もうちょっとだけ食っておけ。Drも心配するぞ?」 「……心配してくれるのならいいんだけどな……」 思わず本音を漏らしてしまって、しまったと慌てて口を噤んだ。だが、その弱音すらしっかりと岸谷には聞かれてもいたようで。 岸谷は西脇の肩にゆっくりと手を置いた。 「なに、どうせすぐ、検診検診と追い掛け回されるのがオチだろうが」 「だよな……」 そんな日常を再び迎えることが出来るのなら……そんな他愛もない日常をまた繰り返せるのなら。 「……濃い目のエスプレッソがいい」 「はいはい……ああ、そうだ、西脇」 「ああ?」 「Drは桃とオレンジ、どっちが好きだ?」 いきなり問われたのがそんなことで。西脇は目を瞬いた。 「……どっちも好きだと思うが?」 「あえて」 オレンジはここの食堂でもよく出されるが、橋爪は見事なまでに綺麗に食べつくしていく。それも笑みを浮かべたまま。医師として、好き嫌いはないとよく言ってもいるが、根本には他への生命への礼賛もあるのだろう。 「……オレンジかも」 「分かった。後で、病室に届けさせる」 「……なあ、岸谷。Drはちゃんと食事とっているのか?」 とは思えないほどのやつれようだった。もともと薄い体がますます薄くなっていた。 「いや。だから、手を変え品を変えで、Drが好きそうなものを持っていくようにしているが、付き添ってた池上の話じゃほとんど口にしないらしい。点滴だけじゃ、体力も回復しないだろうにな」 「……まるで、生きることを放棄しているかのようだ……」 西脇はポツリと呟いた。 先ほどのように薬でやっと睡眠をとるものの、食事も排泄も拒んで…… 医師である橋爪が、自分の行動の意味をわかっていないはずがない。それでも、そうせざるを得ないほどにも追い詰められているのだろう。 「でも、おまえが戻ってきたからもう大丈夫だろ?」 そういって、岸谷は厨房に戻っていった。 誰も彼もが自分に過分な期待を寄せている。 自分が帰ってきたから、橋爪はもう大丈夫だ。 自分には何の力もないというのに……むしろ、誰かに泣いて縋りたいのは西脇の方なのに。 箸で皿の中の料理を突いていると、すっとカップが置かれて、代わりに皿が目の前から消えた。 胡乱気に見上げると、岸谷が食べ残した西脇の皿を避難させていた。 「食わないんだったら、素直に残せ。料理が可哀想だろうが」 岸谷はテーブルにもたれ小さなため息をついた。 「……悪い。つい、な」 「……まあ、おまえがやりたいようにやりゃいいんだろうが」 西脇は濃いコーヒーをぐっと飲み干した。そして、ふうっと深いため息をつく。 「池上が戻ったら、俺の携帯に連絡するよういってくれないか。部屋じゃなく、病棟にいると思うから」 「分かった」 そのまま立ち上がって、西脇はまっすぐに背中を伸ばした。 「岸谷、まだしばらくは世話をかけるが」 「今さらだろ?」 「確かにな」 噴き出した岸谷に、西脇も笑みを誘われる。 「俺はDrの飯を食う姿が好きなんだ」 「岸谷……?」 「薄く微笑んで、美味しそうに食べてくれるだろ? 一見、無表情に見えても、その実幸せそうにな。しかも、綺麗に残さず。食事ってな、人間にとって大事なもんじゃないか。エサじゃないんだ。だから、そんなDrがちゃんと飯を食うことが出来ないのが、俺には辛い」 そして、岸谷は目を細め西脇を見やった。 「食事をしている隊員が幸せそうに笑うのが嬉しいんだ。Drだってそうだ。だから、待ってる。ちゃんと這い上がってくると信じている」 岸谷は岸谷なりのプライドで橋爪を守ろうとしてくれているんだと思い。 ただ、その期待や思いが、西脇にとってはほんの少し重荷になっていることも事実だった。 「……一度、部屋に戻る。ご馳走様」 「ああ」 岸谷の手から皿を受け取り、そのまま返却口に帰すとまっすぐに寮に戻った。 寮長室で、意外に少なかったDMなどの郵便物や荷物を受け取って、重い足を引きずりながら自室に戻る。戻っても、橋爪はここにはいないのが分かりきっているから、余計に。 「……紫乃……」 自室に入るなり西脇は思わず顔を覆った。 二人で過ごした時間と寸分違わない部屋の様子に、今までのことは全て夢かと錯覚してしまうほどだった。 ハンガーにかけられたままのシャツや、デスクの上の飲みかけのコーヒーカップ。微かに寝乱れた形跡の残る、ベッドメイクされたシーツ。 変わらない日常が続くと信じて、日常を重ねた部屋だった。 「……紫乃」 だけど、決定的に違うのはベッドの上だ。 きらりと小さな輝きが目に飛び込んでくる。 ベッドヘッドに置かれた小さな輝きの持ち主は小さな金色の十字架だった。 一人きりで過ごす時間を、恋人はどれほど不安に思っていたのだろうか。 たった一度きりの電話でさえ涙ぐませてしまうほどに、不安な夜を重ねさせてしまったのは、他ならぬ自分自身だ。 「紫乃、ごめん……本当にごめん……」 西脇はその小さな十字架をぎゅっと握り締めた。 きっと、恋人の心の支えだったのかもしれないそれを。 PR
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